感覚‐運動の不協応が運動主体感に及ぼす影響😮

”私らしさ”を取り戻すには、身体所有感と運動主体感が重要であることは、前回Minimal Selfの回で述べましたが、よく理解できたでしょうか?🤔

身体所有感とは,観察された物体を自分の身体に備わっているもの(所有物)であると認知する感覚で、視覚と体性感覚の統合や、感覚予測と実際の視覚・体性感覚フィードバックの一致が、この身体は自分のものであるという身体所有感であり、これが崩れると「この身体は自分のものではない」という身体失認といった症状が出ます。

自己主体感とは,観察された物体の運動が自身によって引き起こされていると認知する感覚で、”この運動を引き起こしたのは自分自身である”という感覚です。

これは遠心性コピーと視覚・体性感覚フィードバックのマッチングによって成立し、頭頂間溝周辺領域と運動前野領域が関わっている。というふうに言われています。

遠心性コピー?🤔

これは運動指令のコピーのことで、例えば運動前野や補足運動野で企画されたものが一次運動野に出力されるのですが、この段階でこの運動指令のコピーが頭頂連合野にもいきます。

このこれから起こる運動の企画や、その運動によって期待される感覚の予測が遠心性コピーです。

そしてこの遠心性コピーと、実際にその企画された運動によって生じた感覚情報が頭頂連合野に戻ってきて、遠心性コピーと比較照合されます。

そしてこの運動や感覚の予測と運動の結果が一致することで運動主体感が生まれます。

運動指令とそれに対する感覚フィードバックの間に不一致が生じると,過度な重さ知覚や異常感覚,さらには身体所有感覚の損失が生じることが報告されています。

思うように(意図通り)動くはずの身体が動かないとなると

・私の身体のように感じない(所有感の喪失)

・私の意思通りに動かない(主体感の喪失)

自分の体が意思通りに動かないとなると、自分の体のことを嫌い・無視したいと思うようになり

これが

・身体無視

・運動無視

・学習性不使用

につながってきます。

脳卒中になってしまい感覚障害を呈して感覚情報が崩れてしまい、視覚で自分の体を見て実際にそこに体はあるが、触ったり動かされたりしても感覚をうまく感じれなくなった場合や、運動麻痺を呈して、受傷前のように体を動かそうと思って運動を企画しても、運動麻痺によって手足が動かず予測と結果に不一致を起こしている患者さんの身体性は崩れてしまっています。

運動の主体感には身体所有感が必要です、そして身体所有感は視覚と体性感覚のマッチングが必要です。つまり感覚がいい・悪いだけでは不十分になります。自分の体をどのように感じ認識しているのかというところが重要になります。

そこで、リチャード・ヘルドのゴンドラに乗った猫と自由に動ける猫の実験を思い出してください。

ゴンドラに乗った猫は、自分の意思とは関係なしに移動させられる車いすの人たちと同じです。脳卒中後遺症で自分で歩くことができず、車いすを押してもらうということは、まさにこの実験の受動的なゴンドラに乗せられた猫の状態に近いのではないでしょうか。

自分での歩行ができるということは時間、空間的な制約を受けない自由意志(運動主体感)を持てるということになります。

・自由意思(運動主体感)のある歩行

・時間を自身で変化させることのできる歩行

・空間を自身で変化させることのできる歩行

自由な変化を起こす事ができる歩行が獲得できることで身体所有感・運動主体感の獲得につながり運動学習がはかどるのではないでしょうか。

しかし、安全性が優先される歩行の獲得ですが、急に立ち止まったり、話ながら歩行できたり、など時間と空間を自由に変化させることができなかったり、一定のスピードも獲得できていないと結果的に歩行を手段として選ばれなくなる可能性もあります。

その点では、リハビリでは歩行スピードという観点でも訓練を構築する必要があるかもしれません。

次回は、学習性不使用について話したいと思います😄お楽しみに!

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