身体意識とリハビリ🤔

「いま」「ここ」にある「私という意識」

鏡の前の子供が、おもしろ仕草で自分であることを検証しています。

もし、鏡に中の自分が一瞬遅く動いたら、鏡の中の自分は自分として認識されなくなるでしょう。

その誤差は0.6~0.7秒以内が許容範囲で、それ以上だと自分ではなくほかの誰かということになります。

このメカニズムとして、まず鏡の前の子供さんの行為意図(おもしろ仕草)があり、運動指令と変わります。ここで遠心性コピーとして予測することと感覚運動システムに分岐します。

予測では予測視覚フィードバック(鏡の中の身体)と予測感覚フィードバック(自己の身体)が認識されます。

感覚運動システムでは、外部環境としての情報(鏡)により、実際の視覚フィードバック(自己の身体)と実際の感覚フィードバック(鏡の中の身体)が認識されます。

その予測と感覚運動システムが一致して、自己として認識されるわけですが、不一致だと他者として認識されるわけです。つまり、自分ではないと認識してしまいます。

さて、そのような状況が現実にあるのでしょうか?🤔

それは意外と普通にあります。脳エラーとして誰しもが高齢になるほど経験してくると思います😄

私がよく例に出すのが、高齢者のブレーキ踏み間違いです😅

健常者は脳エラーですが、脳に障害のある患者はどうでしょう。

患者は自己の身体意識の変容と格闘しています。自己感の低下と喪失といった私らしさの喪失です。

思うように(意図通り)動くはずの身体が動かない。

この身体に私自身の主体感や所有感が起こらない。

つまり意図通りにならない身体は嫌い・無視したいといった身体無視(ネグレクト)や学習性不使用になってくるわけです。

そこで、私という自己を作り上げるものとして、基礎的原始的な自己・主体性(Minimal Self)と経験としての自己・私という物語(Narrative Self)があります。

次回はMinimal Selfについてお話しします😄お楽しみに!

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